安曇野ワイナリー

カテゴリー (ワイナリー誕生物語)

ワイナリー便り

三寒四温の3月から4月。まさに寒さが戻った4月1日に安曇野ワイナリーはプレオープンを迎え、開業祭が開かれた。着実に歩みを進める安曇野ワイナリー。グランドオープンの7月に向けて、今も着々と準備は進む。


全国各地から桜の開花の便りが聞こえてきた4月1日、安曇野ワイナリーはついにプレオープンを迎えた。ここ数日暖かかった信州だが、この日は寒の戻りか、きりりとした空気のなか、安曇野市支所長やマスターソムリエの高野豊氏ら来賓を迎えて、安曇野ワイナリーの開業祭が行われた。


事業の無事を祈り、樫山工業株式会社の代表取締役社長であり、ワイナリーオーナーである樫山宏代表取締役社長、醸造責任者の戸川英夫取締役工場長、そして小林龍義取締役支配人の3人の手によって1本の苗木が植樹された。着実に準備を進めてきた一方で、ついにここから始まるという思いが強く胸に込み上げる。


時を同じくしてショップや事務所の外装も一新した。ヨーロッパの片田舎を思わせる外装は、安曇野の地に自然に溶け込んでいる。グランドオープンは7月。それに向けて現在は、ワインのセレクトショップとカフェを運営するセンターハウスと、ワイン醸造・貯蔵場の建設工事が着々と進められている段階だ。自社農園のシャルドネやメルロー、合わせて約3000本の植樹も進められている最中で、こちらも3年後の醸造に備える。着々と月日は過ぎ、安曇野ワイナリーの〝始まり〟がまさに形づくられている。




この記事は(株)まちなみカントリープレス出版のKURAに掲載されたものです。

植樹祭を終え、ついにオープンを迎えた安曇野ワイナリー。オープンを控えた3月は、苗の運び入れ、ブドウ棚のワイヤー張り、ブドウの出来具合を左右する大きな要因のひとつでもある土づくりなど、季節の移ろいに負けない早さで着々と動き出していた。

4月1日、安曇野ワイナリーでは植樹祭を行い、いよいよ新生ワイナリーとしてスタートを切った。この日を無事に迎えるべく、春の兆しが見え始めた3月、現場スタッフらは土づくり・畑づくりに取り組んできた。

3月の終わり、植樹祭を間近に控えた頃に訪ねると、開墾も済んだ真っ白に光るブドウ畑が目に飛び込んできた。それはダム湖から運んだ砂利で、近づくと小さな石の粒が見て取れる。美しい安曇野の水にさらされた川原の砂利は余分な栄養を含んでいない一方で、ブドウの生育上必要な上質なミネラル分が含まれている。水はけが良いのでブドウに余分な水分を与えることもない。また、白い砂利は太陽の光を反射するので、太陽の光と地表からの太陽と、ふたつの太陽熱によってブドウは生長を促されることになる。

十分な太陽熱光線を受けたブドウには、ブルームと呼ばれる白い粉のようなものが果皮に現れる。これこそが果実の持つ健全度の証しなのである。 「砂壌土のブドウ園はフランスやドイツなどワインの銘造地で見られる河岸の良質ワインの生産地でね、ドイツのライン川沿いのブドウ畑は、太陽の光線熱と地表からの照返し熱と、そしてライン川の川面に反射する太陽の光線熱と、〝3つの太陽〟がある畑と呼ばれているけど、ここはさながら〝2つの太陽〟だね」と、醸造担当の戸川英夫工場長がにっこりと笑うと、「ブドウが実る時期が楽しみですね」と小林龍義支配人が応える。

畑では、種まきも行われていた。トールフェスクと呼ばれる芝草で、ブドウの棚の間の通路部分に生えることになる。雑草を抑えること、余分な水分を抑えること、また枯れたら有機質として土に返すことなど、さまざまな役割を果たす。そうして、着実に土づくり、畑づくりは進められてきた。

もちろん、今年の苗からすぐブドウができるわけではない。今シーズンは近隣の契約農家を中心に長野県内のブドウを使って仕込みが行われる。ブドウの苗の生長も、今シーズンのワインもともに楽しみだ。

一方で、ワイナリーの象徴であるロゴやラベル、看板づくりなども進められてきた。安曇野という美しい地に根づきながらも、世界を目指す。そんなスタッフらの想いが込められている。

この記事は(株)まちなみカントリープレス出版のKURAに掲載されたものです。

2008年があけて早々、安曇野市(旧三郷村)の森の中に佇む安曇野ワイナリーの新たなる始動をお伝えした。醸造責任者として元マンズワイン工場長、山辺ワイナリー醸造顧問を歴任した戸川英夫氏を迎え、本格的なワイン造りと安曇野の観光拠点になるべく、施設の改修が急ピッチにすすんでいる。


かつて、地ビール醸造やヨーグルト製造、さまざまな農産物から作るワインなども手がけていた「株式会社安曇野ワイン」が経営破綻し、昨年末、機械製造業の樫山工業が買い取る形で「安曇野ワイナリー株式会社」として新たなスタートを切った。異業種の樫山氏の英断は長野県のワイン業界に新しい一石を投じ、さらに業界を活性化させる明るいニュースとなっている。


2月4日、一面雪に包まれた安曇野ワイナリーにオーナーの樫山宏社長、小林龍義支配人、醸造担当の戸川英夫氏ら、ワイナリーの創業スタッフが集まった。川沿いに広がるワイナリー敷地内には売店棟、事務棟、ワイン醸造場、バーベキュー小屋、ヨーグルト工場、地ビールレストランなど築年数と目的が異なるいくつかの建物が点在している。それらの現状を見て回り、改修計画を具体化するのが目的だ。周辺の松林の一部、1haほどをぶどう畑に開墾する。4月頃、醸造棟へのアプローチとしてシャルドネを2千本、メルローを千本新たに植える予定だ。「入口はこう、カウンターはあそこへ...」樫山社長の判断は速い。スタッフは小走りで後を追う形だが、「社長、ここに樽が入りきらなかったらどうしましょう」と戸川さんが空気を和ませる。「いいワインがゆったりと時を重ねられる熟成空間になりますように...」社長をはじめ創業メンバーの想いはひとつに固まる。



新たな観光拠点としての役割


北アルプスや上高地の玄関口、故郷の原風景である安曇野は信州の観光ブランドとしても絶大な人気を誇る場所だ。観光誘客は近県の観光地や周遊ルート設定が重要なポイントとなるが、安曇野ワイナリーは現状打破の起爆剤的存在になる可能性がある。絵地図でもわかるように安曇野ワイナリーの場所は松本市街と上高地を結ぶラインの中間点だ。間もなく東海北陸自動車道が全面開通し、岐阜から富山へ一気に抜けるルート設定が可能になると、安曇野の重要な観光拠点となるだろう。ワイナリーは国営アルプスあづみの公園とも近く、穂高地区に集中していた観光客の足を、この三郷堀金エリアまで延ばしてもらう動機にもなりそうだ。



この記事は(株)まちなみカントリープレス出版のKURAに掲載されたものです。

民事再生中の安曇野ワイン。新たに設立した「安曇野ワイナリー」が、その事業を引き継ぐことになった。そして昨年末、安曇野ワインの醸造所の調査が行われ、安曇野ワイナリー始動の第1歩を踏み出した。

国産第1号のスノーマシンを開発し、現在は真空ポンプの製造販売で世界シェアを伸ばしている樫山工業。佐久市の信州工場の幻想的なイルミネーションで、その名を知る人も多いだろう。その樫山工業が安曇野ワインの再生に乗り出した。今回設立された安曇野ワイナリーは、樫山工業の100%子会社にあたる。

樫山工業・取締役社長の樫山宏氏(安曇野ワイナリー社長も兼務)は、自他共に認めるワイン好きで、ワイナリー経営にも少なからず関心があったが、そこに今回の話が舞い込んだ。「安曇野」という観光地としてのブランド力に勝機を見て、再生事業に乗り出した。「観光ワイナリーとして収益を伸ばし、それを支えに品質の良いワインを造る」という再生シナリオを描く。経営者として、ワイン好きとしてのアプローチといえよう。ワイン造りには戸川英夫氏を招聘。戸川氏が山辺ワイナリーで仕込んできたワインには、マスターソムリエの高野豊氏も太鼓判を押す。

昨年末、安曇野ワイナリーの第一歩として、戸川氏を中心に新しいスタッフたちで安曇野ワインの現状調査が行われた。基本的には、安曇野ワインで造られた製品や製造ラインすべてを安曇野ワイナリーが引き取る。安曇野ワインの在庫商品が、新生「安曇野ワイナリー」で販売するのにふさわしいか、今の製造ラインが使えるのかのチェックを行ったのだ。すべてのワインをテイスティングし、タンク一つひとつからボトリングラインまで、戸川氏の厳しい基準でチェックが行われた。この調査結果をもとに、今後の販売計画や投資計画が行われる。

まずは敷地内に約7500㎡のブドウ畑を新たに設ける予定だ。4月にシャルドネとメルローの苗木が植えられ、来年秋に収穫、醸造、そして熟成期間を経て安曇野ワイナリーのエステートワインが誕生する。もちろん、自社栽培のブドウだけでは足りない。「わたしたちの思いに賛同してくれる農家との協業を大事にしたい」と話すのは、樫山工業から送り込まれた安曇野ワイナリーの責任者、小林龍義氏。「質の高いワイン」という夢と「経営再建」という現実の舵を取る。その船はまさに今、旅立ちの途についた。

この記事は(株)まちなみカントリープレス出版のKURAに掲載されたものです。

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